いっそのこと著作権法の新解釈でダビングサービスは全部合法になってしまえばいいのに

ちょっと前のやまもといちろう氏のYahoo!個人ニュース「今年は著作権にまつわる諸々が色々とこじれて表面化しそうな予感がします」で自分のツイートが引用されてるようです。文脈を明確にしてちゃんと論じた方が良い話題だと思うので、ここで繰り返し検討してみます。

知財法界の重鎮である田村善之北大教授の論稿「自炊代行業者と著作権侵害の成否」について触れたブログ「企業法務戦士の雑感」の記事「ついに世に出た“真打ち”的評釈」に関する私のツイートがやまもと氏に拾われたという流れです。

先に一般的な説明をしておくと、法律解釈とは単純に杓子定規に条文を当てはめるものではありません。こうあるべきという規範が解釈する人(典型的には裁判官)の頭の中にあって、それに適合するように条文を解釈していくのが通常のプロセスです。

ただし、条文と完全に矛盾する解釈を行なうことはできません。たとえば、「今の18歳は十分大人なので、条文上は”満20歳未満の者の飲酒を禁止する”と書いてあるが、体が十分大人であれば20歳以上と解釈しよう」というのはさすがに無理筋です。

著30条の「その使用をする者が複製」という要件は結構明確ですし、どの著作権法教科書を見ても代行業者による複製は許されないと書いてあります。ただ、その一方で、おじいちゃんのために孫が新聞を拡大コピーしてあげるとかそういうレベルであれば「使用をする者と同一視できる補助者」による複製は許されるとされているので、多少の解釈の入る余地はあるでしょう。

さて、田村先生の論稿ですが最大のポイントは以下の解釈にあると思います(本論稿では他に「自炊の森」型の態様についても検討されてますが長くなるので別の機会に触れることにします)。

同項(栗原注:著30条1項)が「その使用する者が複製する」ことを要求している趣旨が、私人である本人以外の者が複製する著作物を決定する場合には、特定の著作物について組織的に複製されることになりかねず、著作権者に与える影響を無視しえないからであるとすれば、肝要なことは使用者本人が何を複製するのかということを決定しているのかということなのであって、物理的に複製をなす者が誰かということは重要ではない。この種の自炊代行は 30 条 1 項の枠内にあるというべきではなかろうか。(太字は栗原による)

ひとつの客観的真実があるわけではない法律の世界では第一人者の発言は裁判所の判断にも大きな影響を与え得ます。もし、田村先生が提案するような解釈が知財高裁で採用され、結果的に自炊代行サービスが合法になるのであれば、それはそれで喜ばしいことです。

ただ、そうなると、著30条1項の「その使用をする者が複製する」という要件が効いてくるパターンてあるのかという気もします(それがそもそも私がしたツイートの意味)。著作物の使用者の預かり知らないところで業者が勝手にコピーしてしまうというパターンはちょっと想定しがたいです。また、仮に業者が蔵書を全部複製するのだとしても、それは、使用者本人が蔵書全部を複製することを決定しているわけですし。まあ、一般的に言えば、盲腸のように意味がなくなってしまった要素を持つ条文もないわけではないのですが。

さらに、もしこのような解釈により、自炊代行サービスが合法ということになれば、他のダビング代行系サービス、たとえば、手持ちのLPをMP3化してくれるサービスやレーザーディスク、ビデオテープ等をビデオファイル化してくれるサービスも合法にならないとおかしくなります。

まあ、自分としては、法律の改正を待つまでもなく、コピー(ダビング、スキャン)代行サービスは全部OKということになれば大変喜ばしくはあります(プレイヤーの調子が悪くて死蔵されているレーザーディスクも結構家にありますし)。ただ、個人的には、仮にそうなるにしても最終的には法改正を目指した上での(やや強引な)解釈という気がします。

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