佐村河内守事件に関して著作権法上の論点はあるのだろうか?(続き)

先日のエントリーの続きです。ネット掲示板での議論や他の人のブログを見ていろいろ考えた上での追記です。

まず、新垣氏が作曲した楽曲が佐村河内氏と新垣氏の共同著作物、あるいは、佐村河内氏の著作物の二次著作物にあたるのではという議論があります。佐村河内氏が口ずさんだモチーフを展開して楽曲に仕上げるとかであれば別ですが、例の指示書だけで、新垣氏との共同著作、あるいは、音楽の二次著作物の原著作物とするのは厳しいと思います。

佐村河内氏を使用者等、新垣氏を従業者等とする職務著作ではないかという論点もあります(職務著作だとするならば佐村河内氏が著作者(かつ著作権者)になります)。法文上は使用者は「法人等」となっており、法人には限定されず、たとえば、個人事業者であってもよいのですが、雇用関係がまったくない請負であれば職務著作にはあたらないとするのが多数説(たとえば、中山『著作権法』p179)なので、この解釈も厳しいと思います。

壇俊光先生のブログエントリーでは、私も触れた121条に加えて、著作権の存続期間(職者の死後50年まで)(このポイントはちょっと忘れてました)、および、著作者人格権(著作者の名誉声望の毀損によるみなし侵害)なんて論点も挙げられています。また、佐村河内氏とJASRACの間の信託契約の有効性なんて論点もあります。

ということで、著作権法上の問題がまったくないというわけではないですが、この事件はやはり詐欺や契約違反(そしてもちろん道義的な問題)として論ずべき事件であると思います。

ところで先日のエントリーで、

なお、高橋大輔氏のソチ五輪での楽曲利用ですが、新垣氏がNoと言わない限り問題ないと思われます。

と書きましたが、ゴーストライティングの合意により新垣氏の著作権は佐村河内氏に譲渡されていると思われる(合意の上で作曲し、報酬をもらって、その後しばらくは特に文句を言っていない)ので、新垣氏が楽曲の利用をOKしたり、NGにしたり、あるいは、著作権放棄というのはあまり意味がないことになります(もちろん、法律とは関係なしに個人の気持ちとしていうのは話が別ですが)。

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